子どもの騒音問題について

 今回は子どもの騒音問題について考えていることを記します。
長野市における市が管理する公園が18年間にわたる一軒の苦情により廃止を決定したというニュースを受けてです。
当事者でもない人間が議論するべきでないような風潮もありますが、一般論や自分の考えだけまとめます。

【自分が子どもの時】
 私は30年近く前に九州の田舎で過ごしていましたが、同じように近所の公園でボールで遊んだりしていました。
そして3m近くあるコンクリート壁を超えて民家の庭にボールを入れてしまい、こそこそ取ろうとしてご主人にめちゃめちゃ怒られた記憶があります。
またあるときは駄菓子屋で買ったPバク(←と呼んでいた)をコンクリート壁に叩き付け、次の日学校で担任に怒られたりしました。
(PバクはBB弾より2回りほど大きいカラフルな球で、強い衝撃を与えるとかけっこの時のピストルのような音が出ます)
担任は当たり前のことが出来ないとすぐ怒るとても厳しい人で、怒られては正座させられたりしていました。
しかしそんな担任が翌日に改めてみんなの前で話してくれたのは、自分も小さいころそんなことやってたからあんまり怒れない、という趣旨の話をばつが悪そうにしました。
住民からの苦情で一度は叱ったのでしょうが、そんな風に言われるのは初めてだったのでびっくりしました。

【一般的に子どもは迷惑をかける】
 誰しも子どもの時は親や先生や近所の人に怒られたことがあるでしょう。
例え今の社会情勢がどんなに厳しく世間が不寛容になっているとしても、子どもの居場所を排除する動きは反対です。
もともと私にとって子どもはうるさくわがままで嫌いな存在でした。
そして自分の子どもには他人に迷惑をかけないよう、間違っていることは繰り返し言い聞かせていました。
でも何となく気づいてしまったのですが、子どもはそんなに理解できていない、どんなに言い聞かせても迷惑をかけてしまう生き物だということです。
他人に迷惑をかけてしまったら親である自分が誠実に対応すればいいだけであり、迷惑をかけないようあれこれ詰め込んでしまうのは「失敗することは許されない悪である」と、これから呪いとなって子どもに背負わせてしまうと考えています。
程度は難しいですが、ある程度言い聞かせて様子を見るようにしています。

【一軒の苦情というインパクト】
 さて、件の公園についてですが、何ともインパクトのある見出しでその人がおかしいと誘導されているようです。
苦情を言っているこの方が迷惑を受けていることは違いないでしょう。
しかしいくら地域のつながりが希薄になった現代でも、他の家庭はどうだったのでしょうか。
うるさいけど、しょうがないよね。
うるさいけど、子どもだし我慢するか。
うるさくないよ?
部外者の自分には本当のことはわかりませんが、少なくとも廃止になることで居場所を無くす子供たちがいます。
苦情を言ってきた方や役所の経緯説明は所詮大人の話。
役所には子供たちをフォローする策を講じてほしいと思います。

【性質は変わらない】
 人は自分の性格は変えられると思いますが、根っこの部分にある性質は難しいと思っています。
今回の当事者である子供たちが何を感じ、どう受け止めて大人になるのか。
私だったら大人を信用しなくなり、自分が良ければそれでいいという考えになってしまうと思います。
私はPバクの話を先生に打ち明けられることで、その厳しい先生を少し受け入れられたような気がします。
誰しもが人に迷惑をかけて大人になりました。
私は今回の子供たちが、「損得や自分さえ良ければそれでいいという考えは、自分を守るためには仕方のないことだ」という風になってしまうと、他人事だけどやるせない。