10か月になる長男は生まれた時から片方の耳が聞こえない病気でした。
耳の穴が開いておらず、大きさも生まれた時からほぼ変わっていないです。
骨振動で少しは聞こえているかもしれないのですが、耳の形は体が大きくなって軟骨の移植により形成するしかないそうです。
【コロナ禍におけるマスク事情】
成長するまでしばらくはマスクやメガネ、イヤホンといったものは物理的に使用できなくなります。
最近は卒業式でマスクするかどうかとか、電車の中ではした方がいいとかまだ色々言われていますが、5類になってしばらくしたら落ち着いてきてくれるのかなと期待しています。
もうコロナが世間を騒がせて3年になるわけですが、自粛警察やマスク警察と呼ばれる人が話題になったり身近にいたり、人付き合いの嫌な部分にばかり目がいってしまって色々と考えさせられました。
【人との距離感】
仮に息子が10歳くらいの時にコロナが流行っていたらどうなっていただろうとふと思いました。
髪の毛で耳が隠れている息子がマスクをしないで町を歩くわけです。
お店の中に入れないとかは店側の決まりなので諦められるでしょう。
しかし事情も知らない見ず知らずの大人からマスクしろ!と大声で責められる、変な目で見られる、したくてもできない、自分だってみんなと同じが良かった・・・。
嫌な気持ちになったり、悲しくなったり、虚しくなったりしたでしょう。
私は自分の考えや価値観はしっかり持っていたとして、その上で人とは適切な距離感をもって接することができる人でありたいです。
今はLGBTなど多様性を認めようとする一方で、心の奥底では今までの人生で形成された価値観によって抵抗がある。
人種のるつぼと言われるアメリカでさえ、文化や民族の多様性を認める一方で黒人差別などが根強くあったりしますね。
しかしながら距離をとって問題を起こさないようにするのも違う気がします。
大きく距離をとってもそれはそれで人を傷つけてしまうかもしれないし、あまりに何も触れずに上辺だけだとそれも寂しいですよね。
【ノックしてから入ってほしい】
私は「関わってはいけない人」からは何も言わずにすぐに逃げるようにしています。
仕事ではなるべく表情に出さないようにしていますが、「もう知らんから好きにせえよ」と思うことがよくあります。
けっこう好きか嫌いの0か100で人と付き合っていることが多いと気づきました。
世の中に変な人や自分と分かり合えない人が多いことは事実ですが、ちょっと今の自分の考え方は改めるべきなのかなと思っています。
「LGBTなんて面倒くさい」「意地はらんとさっさとマスクせえよ」とか、相手の事情とか何も知らないのに、合わないと思うと逃げるか大きく距離をとってやり過ごします。
私は歩み寄ろうとした相手が人の善意を利用するたちの悪い人だった場合が嫌なのです。
大学生になって少しずつ社会を知ったとき、そういう人が身近に、しかも結構多くいることに衝撃を受けました。
そんな人に利用されるのは嫌だというのがあって、自分の中で折り合いがつかないのだと思います。
しかし先日テレビを点けていて、ロバートキャンベルさんの言葉にとても納得させられました。
番組の内容はよくわからなかったのですが、子どもの質問に回答するというものだったと思います。
その中で、「私は自分の家に鍵をかけます。入ってくるときは、ちゃんとノックして入ってきて下さい」という感じの話がありました。
あ~これが自分がやりたいと思っていることを言語化したものなんだと思いました。
「鍵は掛けるけど相手の価値観や多様性を受け入れるスタンスだから気を悪くしないでね。人の善意を利用するたちの悪い人だったり、関わってはいけない人を招き入れないためだよ。あなたとはしっかり分かり合いたい。でもノックしてから入ってきてね。
私はこの距離感を大切にしたい。」
自分とは合わないと思う人も、その人の事情を知ったら分かり合えるかもしれません。
だから鍵は掛けてるけど、私も避けずにノックしてから相手の領域に踏み込むようにします。
言葉にすると簡単なことですが、適切な距離感で人付き合いが出来るように少しずつ変えていきたいと思います。