京都 伏見へ

 昨晩、確定申告を終えました。
いままでは医療費控除だけでしたが、今回は不動産所得分の作成とそれに伴う費用の集計もあって調べながら作業しました。
アクセスが集中していたからなのか、パソコン動作もいちいち遅くて夜9時から翌朝4時までかかってしまいました。
作業中は何ともなく黙々としていましたが、今日は朝からしんどかったですね。
(黙々と出来たのは減価償却租税公課の処理などで簿記の知識が役に立ったこともあり、楽しかったからだと思います)

【息抜きは一人の時間】
 今日は用事を片付けるため、妻に家の事をお願いして外出しました。
一つは姉からもらったお年玉のお返しを購入すること。
もう一つは父へのお酒の購入です。

姉への贈り物は京都市街へ、父へのお酒は伏見へ行きました。

正月に実家に帰省した際に、タイミングが合わずに会えなかった姉が実家にお年玉を預けてくれていました。
私はお年玉を直接あげたい性格なので準備していませんでしたが、受け取ったからにはお返しが必要になります。
(数千円のお年玉に対して何のお返しが喜ばれるのか、本当に悩むので本音では止めてほしいです・・・)
悩みましたが、姪っ子の二人にはお年玉ではなく、たくさんあっても困らないヘアゴムを送ることにしました。
京都っぽい和風でありながら、かわいらしいものを選びました。

お酒は再来週に実家の両親が大阪に遊びに来るので、もてなすために選びに行きました。
特に伏見と言えば有名な酒処ですね。
関西に越してきたので兵庫県の灘と京都の伏見には行っておきたいと思っていました。

近所の蕎麦屋さんで扱っている「蒼空 そうくう」という伏見のお酒が非常に良かったので、製造元である藤岡酒造さんの所に行って購入しました。
日本酒は詳しくないのですが、いろいろ飲みながら2種類に決めて購入しました。
飲みながら酒造りや伏見の事など蔵人さんに色々お話ししていただいたので、とても楽しい時間でした。

外観だけ

藤岡酒造(外観)

金魚がいました。仕込む水がきれいということでしょうね。

外観(金魚)

お土産のお酒です。500ml/本と珍しい。

蒼空

帰宅後にお昼寝した長男の側で1時間ほど寝てしまいましたが、リフレッシュして体はとても元気になりました。
一人の時間を作ることで考え事や段取りも整理できるし、息抜きにもなりました。
妻はなかなかしようとしないのですが、用事がなくても長男を私に預けて一人で外出してほしいと思っています。
無理に勧めるとケンカになるのであまり言いませんが・・・。

来週は会社に連絡して、いよいよ復職後の動きを確定させていきたいと思います。
残り短い休業期間、仕事の準備もありますが、最後まで家族に何ができるかを考えて日々大切に過ごしていこうと思います。

育休中の勉強

 今日は日商簿記の試験日でした。
午前に3級、午後から2級の予定でしたが、体がしんどくて3級のみ受けました。
(2級は商業簿記対策がほぼできていなかったのもあり、諦めました)
会場前の道路は大阪マラソンのコースだったようで、横断歩道をバリケードで止めているスタッフや警察の方がたくさんいました。
人混みが苦手な私には午後の試験までの3時間をゆっくりつぶすことは出来そうになかったです・・・。

【育休中の資格取得に取り組んでみて】
 試験対策は夜に子どもたちが寝てから2~3時間していました。
私は習慣的にお酒をよく飲む方でしたが、11月末に一度3級の試験を受けてからほぼ飲まなくても大丈夫な生活になりました。
(缶ビール1本でも入っていると集中できなかったり頭に入りにくかったりします)
年明けからは工業簿記を本腰入れて頑張りましたが、興味があって面白い部分と、自分はこの大切な時間に何をやってるんだろうという感情がありました。
自分が資格を取得することのメリットと、この休業期間にもっと妻や子供たちと話したり触れ合ったりできるのではないかと比較してしまい、育休中の資格取得における感想としては何となく時間の使い方が勿体なかったなという感じです。
わざわざ今やらないで、忙しくても復職してからの方がすっきり取り組めそうです。
次に試験がある6月に照準を合わせて、復職後にもう一度取り組んでみようと思います。
政府によるリスキリングを後押しする発言が話題になり、出来るわけないと言われる一方で学位やMBAなどを取得するために勉強される方がいることに驚きます。
私は地方にある国立大の工学部出身で、数字には強い方だと思っていました。
ところがいざ始めるとこんなにも大変なものかと不甲斐なく思いましたし、ちゃんと結果を残している人には本当に尊敬しかありません。

【家族の理解を得て取り組む】
 しかしどれだけ頭が良かったり要領が良い人でも、家族の理解なしにはやらない方が良いと思いました。
私の場合も妻には何やってんだろうと本心では冷めた感じで見られていたと思います。
(授乳などで育児の負担が大きいのは妻になるので当然です・・・)
本来の目的は育児に専念するための休業期間です。
夜中に一人リビングでバチバチ電卓を叩く私を見て、何か一生懸命やってるからそっとしておこうくらい思ったのかもしれませんが、受かっても妻は別に喜んだりもしないような気がします。
育休本来の目的に反して長期間本気で勉強することは良くないように思いますし、少なくとも家族の理解を得てからにした方がよさそうです。
これから育休を取得するであろう会社の後輩にはお勧めしないでおきます。
話し合って妻の理解を得られたとしても、感情としては育児が大変な時に何やってんの!となってるでしょうから。
(まして政府による後押しなどやらない方がいいです)

 さて、確定申告等やることも色々たまっています。
空いた時間には皆さんのブログを読んだりして適度にガス抜きしながら、忙しくても気持ちには余裕をもってまた明日から育児や家族に向き合っていけたらと思います。

自宅を購入したい

 週末に近所で売りに出されている中古戸建ての内見に行ってきました。
自宅付近は戸建ての物件などほとんど出ることのない地域であり、越してきて半年目にして初めて情報を得ることができました。

【主観:古家付き土地】
 人気の特急停車駅から徒歩10分程度にある角地であり、築35年2階建ての戸建て新耐震基準、土地20坪、販売価格3,000万弱。
建ぺい率60%、容積率200%のため、3階建てに建替えが可能な物件でした。
建物自体は内見した結果、普通に住めるくらいのキレイさと設備と広さでしたが、実際に我が家が住むには確実にリフォームして間取り等も変える必要があり、気持ちとしては土地だけがほしいという物件でした。
なんせ立地がいいので、売るときも確実に買手がつくと見込んでいます。
しかし売主さんの希望が建物込みであり、結果として今回は購入を早々に見送りました。

【今回の収穫】
 業者さんには建物込みの金額で購入する予算がないことを伝え、もし取引が進まずに減額や土地のみの販売になればまた教えてほしいと伝えました。
土地値では近隣の相場によると1,500万円くらいになります。
今回の物件は待ちに待った情報であり、正直めちゃくちゃ欲しかったです。
しかしいくら欲しくても差額の1,500万円+解体費用(150万くらい?)を余分に払ってまで購入するのは、お金に余裕があったとしても勿体なくてさすがに無理だなぁと思いました。
お金がなければ欲しいものがあっても買えない、何とも虚しい現実を突きつけられました。

今回の収穫としては新しい業者さんとつながりができたこと、そして物件周辺でも近い将来売りに出そうな情報があることなどを教えてもらえたことでした。
希望は薄いですが、もし土地の購入だけが可能になれば御社で建て替えをお願いするということを伝えてこの話を終えました。
お金がない私が業者さんにGiveできることは、せめてそれくらいの義理を通すことくらいです。
今回は縁がありませんでしたが、将来またいい巡り合わせがあることを願います。

最後に
金利が低いからなのか、やっぱり物件価格高すぎます。
木造の減価償却は22年なんだから、いくら住めるとはいえ1,500万円の価値なんてないと思うんだけどなぁ・・・。

人との距離感

 10か月になる長男は生まれた時から片方の耳が聞こえない病気でした。
耳の穴が開いておらず、大きさも生まれた時からほぼ変わっていないです。
骨振動で少しは聞こえているかもしれないのですが、耳の形は体が大きくなって軟骨の移植により形成するしかないそうです。

【コロナ禍におけるマスク事情】
 成長するまでしばらくはマスクやメガネ、イヤホンといったものは物理的に使用できなくなります。
最近は卒業式でマスクするかどうかとか、電車の中ではした方がいいとかまだ色々言われていますが、5類になってしばらくしたら落ち着いてきてくれるのかなと期待しています。
もうコロナが世間を騒がせて3年になるわけですが、自粛警察やマスク警察と呼ばれる人が話題になったり身近にいたり、人付き合いの嫌な部分にばかり目がいってしまって色々と考えさせられました。

【人との距離感】
 仮に息子が10歳くらいの時にコロナが流行っていたらどうなっていただろうとふと思いました。
髪の毛で耳が隠れている息子がマスクをしないで町を歩くわけです。
お店の中に入れないとかは店側の決まりなので諦められるでしょう。
しかし事情も知らない見ず知らずの大人からマスクしろ!と大声で責められる、変な目で見られる、したくてもできない、自分だってみんなと同じが良かった・・・。
嫌な気持ちになったり、悲しくなったり、虚しくなったりしたでしょう。
私は自分の考えや価値観はしっかり持っていたとして、その上で人とは適切な距離感をもって接することができる人でありたいです。
今はLGBTなど多様性を認めようとする一方で、心の奥底では今までの人生で形成された価値観によって抵抗がある。
人種のるつぼと言われるアメリカでさえ、文化や民族の多様性を認める一方で黒人差別などが根強くあったりしますね。
しかしながら距離をとって問題を起こさないようにするのも違う気がします。
大きく距離をとってもそれはそれで人を傷つけてしまうかもしれないし、あまりに何も触れずに上辺だけだとそれも寂しいですよね。

【ノックしてから入ってほしい】
 私は「関わってはいけない人」からは何も言わずにすぐに逃げるようにしています。
仕事ではなるべく表情に出さないようにしていますが、「もう知らんから好きにせえよ」と思うことがよくあります。
けっこう好きか嫌いの0か100で人と付き合っていることが多いと気づきました。
世の中に変な人や自分と分かり合えない人が多いことは事実ですが、ちょっと今の自分の考え方は改めるべきなのかなと思っています。
LGBTなんて面倒くさい」「意地はらんとさっさとマスクせえよ」とか、相手の事情とか何も知らないのに、合わないと思うと逃げるか大きく距離をとってやり過ごします。
私は歩み寄ろうとした相手が人の善意を利用するたちの悪い人だった場合が嫌なのです。
大学生になって少しずつ社会を知ったとき、そういう人が身近に、しかも結構多くいることに衝撃を受けました。
そんな人に利用されるのは嫌だというのがあって、自分の中で折り合いがつかないのだと思います。

 しかし先日テレビを点けていて、ロバートキャンベルさんの言葉にとても納得させられました。
番組の内容はよくわからなかったのですが、子どもの質問に回答するというものだったと思います。
その中で、「私は自分の家に鍵をかけます。入ってくるときは、ちゃんとノックして入ってきて下さい」という感じの話がありました。
あ~これが自分がやりたいと思っていることを言語化したものなんだと思いました。
「鍵は掛けるけど相手の価値観や多様性を受け入れるスタンスだから気を悪くしないでね。人の善意を利用するたちの悪い人だったり、関わってはいけない人を招き入れないためだよ。あなたとはしっかり分かり合いたい。でもノックしてから入ってきてね。
私はこの距離感を大切にしたい。」
自分とは合わないと思う人も、その人の事情を知ったら分かり合えるかもしれません。
だから鍵は掛けてるけど、私も避けずにノックしてから相手の領域に踏み込むようにします。

言葉にすると簡単なことですが、適切な距離感で人付き合いが出来るように少しずつ変えていきたいと思います。

責任の所在

 今回は責任の所在ということについて記します。
工業簿記を勉強している中で面白い記述がありました。
原価計算のために細かい分類があるのですが、主に製造間接費がどの製造工程(部門)でどれだけかかっているかを反映するために部門別計算というものを行います。
この部門別計算の目的として、原価の発生に関する責任の所在を明らかにするという記述があるのです。
なるほど簿記の世界では製造(原価)における責任がどこにあるのかを原価と言う数字で部門別に示すことで考えられるのだと感心しました。

【指揮命令系統の厳守】
 会社のような組織の中で問題が起こったとき、誰の責任かが明確にわからない場合があります。
そうならないために私が絶対に守り守らせていることは指揮命令系統です。
現場には元請けの立場で行くことが多いのですが、一緒に仕事をしてくれる一次下請け、その下に二次下請けと呼ばれる協力会社の方がいます。
元請けは一次下請けを飛ばして二次下請けに直接指示することはできません。
さらに言うと一次下請けの中でも責任者の方にしか作業の指示は出しません。
そして各責任者が自分の会社の作業員に責任をもって指示するのです。

ところが現場を巡回していると、この指揮命令系統を無視して一作業員の方から質問されたりするのです。
内容は大小さまざまですが、私はどんなに小さな指示でも絶対に出しません。
「まず、自分の会社の責任者に聞いたんですか?」と言い返します。

指揮命令系統なんて当たり前だよと思うかもしれませんが、これが出来ない人は結構います。
確かに目の前に答えを知っている監督がいれば聞きたくなるのかもしれません。
しかしそれが常態化すると、現場のあちこちで予定と違うことが起こり、元請会社として決めている安全な施工計画が変わっていくことに抵抗がなくなってしまうのです。
安易に出した指示でもし事故が起こったら誰が責任を取るの?私やあなた個人でどうやっても取れないでしょ?となります。
(ただし危険な行動をしているときに限り、直ちに作業を止めるよう指示を出します)

【組織に守られている】
 面倒くさい監督だと思われているかもしれませんが、指揮命令系統を守ることがみんなの身を守ることになると信じています。
これが守られていないと、有事の際に会社として社員を守り切れないということもあり得るでしょう。
逆に言うと、どんな不安要素も自分が指揮下にある組織のトップの耳に入るようにきちんと報告しておけば、自分の身は守られると言えるでしょう。
自分の独断で勝手にやったことについては自分で責任を負うことになりますが、トップが「知らなかった」ということでなければ組織として必ず守ってくれるはずです。
(そうでない組織からは去る。ニュースを見ていると、なぜトップが責任をとることが少ないのか疑問に思います。)

【トップとの接し方】
 ある程度自分で仕事ができるようになると、こんなことも忘れて会社や上司が嫌だと文句を言ったり、自分で勝手に仕事を進めたりしていました。
しかし、自分はある意味子どものようなもので、守られた立場で仕事をさせてもらっているということを忘れていたように思います。

いざという時が訪れないと、なかなか現状に感謝することは難しいのかもしれません。

例え馬が合わない人だとしても、責任ある組織のトップにはリスペクトをもって接することが大切だと思います。

忘れないようにしたいです。

新しい世界を知る

 先週の金曜日にグーグルアドセンスの申請をし、火曜日にアカウントの有効化が出来たと通知がありました。
いろいろ操作しながらどんなものなのか勉強していますので、少し記事が見づらくなるかもしれませんが勘弁してください。

【ブログそのものに興味を持つ】
 他の方のブログを見ていてグーグルアナリティクスを知りました。
これを実際にやってみると、「すごくたくさんのデータがあるけど何をどうやったらいいんだろう・・・。」となりました。
そして他にはブログでどんなことができるんだろうと興味をもったのがグーグルアドセンスです。
はてなブログPROから始めていて独自ドメインもあったので、申請してみようと思いました。
(始めた当時は何も知らず、せっかく見てもらうなら広告とかない方が見やすいだろうなぁと思ってPROにしていたんですが・・。)

Amazonアソシエイトなども知りましたが、自分には合ってないと感じたのでやめました。
私は他の方のブログでお薦めされていた学校用電卓をこれで購入したことがありますが、自然な文章の流れで興味を持って「これを自分が書くのは難しい!」と感じていました。
(今までは電卓の反応が悪くてストレスを感じていましたが、お薦めされたものは簿記の勉強用に重宝しています。)

 さて、昨日は自分の記事を見ながら「ここに広告が追加で貼られた」とか「自分が検索した宿が出てる」とか面白くて何回も見ていました。
普段何気なく見ているサイトに貼られている広告の仕組みがこうなってるんだと感心すると同時に、これを本業で生計を立てている方の分析力の凄さを感じました。

【新しい世界を知る】

 自分が知らなかった新しい世界を見ると、視野が広がったり考え方が変わったりします。
今回はモノを作って売るまでの生産者と購入者の間に様々な労力や仕事があるということに触れることが出来ました。

私はITリテラシーが低いほうなので、今までは「ITスキルを身につける = プログラミング能力だ!」くらいの感覚でした。
しかしアプリをプログラミングできる事とサイトを分析して集客や収益を上げることは同じITの分野でも全く異なる能力ですよね。
システムを構築するプログラマーはバリバリの理系思考の方が向いていると思いますが、後者ではむしろ文系分野で経済や心理学のバックボーンがある方の方がいいのではないかと感じました。
子どもの習い事でもプログラミングスクールは人気があるようです。
今までだと「これからの時代はプログラミングは大事だから習わせてみよう」と単純に考えていたかもしれませんが、システムを作るのはプログラマーに任せればいいし、他にも必要な仕事はたくさんあるんだなぁと思うと判断材料が増えて別の選択も出来そうです。

 働いて最初に車を買ったとき、現場の先輩がボンネットを開けて車のメインであるエンジンだけでなく、ダイナモラジエーターなどいろいろ教えてもらいました。
「これは先人たちが苦労して作り上げた技術の結晶なんだ」という言葉を今でも覚えています。
知らなかった車の仕組みを知ることで、その価値を知り、車を大切に扱うということにつながっていると思います。

仕事で新しいことを学ぶことはありますが、プライベートでは最近そういう経験をなかなか出来ていませんでした。
今回はてなブログで新しい世界を知ったことでわくわくしてちょっと嬉しかったです。

他の方の記事も楽しく見させてもらってますし、専門知識のある方のものはとても勉強になります。

育休終わったらなかなかできないと思うのですが、楽しく続けながらこれからも新しい世界に触れられたら嬉しいなと思います。

育児とゆでガエル

 今回は育児とゆでガエルということについて記します。

【ゆでガエル理論】
 現場で仕事をしているときにゆでガエルのお話を聞いたことがあります。
沸騰した鍋にカエルを入れるとびっくりしてカエルは逃げ出してしまいますが、常温の状態から火にかけると沸騰してもカエルは逃げ出さずに死んでしまう、という話です。(実際は後者でも逃げ出すらしいです)
これにかけて、現場ではちょっとした小さい危険を気にせずほったらかし、それに慣れてどんどん危険な状況になっても気にしなくなり、最後は重大事故を起こしてしまう、という教訓として労働災害防止のための教育に用いられます。

【育児の鍋は逃げ出せない】
 なぜこれを思い出したかというと、育児における鍋は最初からアツアツで、しかも逃げ出すことができない過酷なものだなぁと思ったからです。
仕事ならやばいと思ったら逃げ出せばいいし、もしかしたら途中で環境が変われば鍋が冷めてくれるかもしれません。
しかし育児の場合、自分だけでなく子どもも絡むので、ストレスの原因をわかっていても簡単に変えられない、アツアツの鍋の中で耐えるしかできないことも多いでしょう。

【妻の思惑とキャパシティ】
 私が来月末に育休が終わることを意識してか、妻は最近「お父さんはいないものとしてやっていく」と言っています。
ところが先日、妻から「育休とったらもっと楽になると思っていた!」とか、「何のために育休とったの!」と声を荒げて言われました。
妻があたふたしているときに私が寝そべってスマホを見ていたのが気に食わなかったようで、これで火がついたようです。
私も納得がいかなかったので、あえて同じテンションで言い返しました。
「遊んでるわけじゃない」
「察してだけでは限界がある。ちゃんと言葉で言えよ。」
妻のお陰でいろいろ出来るのはありがたいのですが、今せっかく一緒にいるのに何も頼らないのは違うし、それで何のために育休とったのと言われても・・・。

とはいえ、妻の考え方もわかります。
私は育休が終わると単身赴任の可能性が高く、実際「いないもの」になってしまうからです。
今は二人がかりで長女が幼稚園に行くまでの準備をし、長男が夜泣きしたら私も抱っこして寝かしつけます。
料理や幼稚園の用事はほぼ妻がしてくれますが、洗いものや洗濯、掃除等の家事や他の用事は今でも私がやっています。
これらも全て妻の負担になったとき、夜泣きで寝れず、疲れた身体で時間に追われながらギリギリの生活をしていそうな気がします。

【溜飲が下がる】
 しばらく大声で言った後、私は心配していることをゆっくり説明しました。
「実際にあなたが倒れたりしたら、俺は単身赴任は出来なくなる。
家から通勤して会社で内勤するパターンも想定しているから、そのために資格も含めていろいろ勉強している。
スマホを触ってるのも株価やマイホームのための情報収集をしているためで、遊んでいるわけではない。
家なんか買うと決めてすぐに出来るものではないし、年齢的に住宅ローンを組むならあまり時間もない。
形は違えど俺も将来の事を思って動いている。
いないものとして扱われても、楽して遊んでいるわけではない。」
言いたいことを言って、妻もそこまで私が何を考えているのかわかっていなかったのか、お互いに溜飲が下がったと思います。

【私のゆでガエルの解釈】
 さて、冒頭のゆでガエル理論ですが、私は少しポジティブに解釈しています。
人間は慣れてしまうと大けがをしますが、逆に言うと、人間は変わっていく環境にも慣れて順応することができるということです。

私の残り2か月弱の育休は、「私のいない状況でも妻がつぶれずに育児に順応できるようサポートする」ということのためにあると考えました。

妻は考えだすとなかなか決められない性格です。
それで時間が割かれてストレスになるのであれば、一緒にいる今のうちに決められるものは決めてしまいます。
(今は子どもの習い事は何がいいか色々見ているようです)

そして完璧を求めやすく、一人でため込みやすい性格です。
特に疲れているときはやり過ぎないように寄り添って声をかけます。
(疲れているときまでしっかりご飯を作る必要はないんです)

そして一番のストレスは、長女の赤ちゃん返りです。
甘えるだけなら何も問題ないのですが、長男を叩いたりして怪我させる恐れがあるため毎日怒っています。
この長女の問題がクリアになれば、(これが問題としては大き過ぎるので)ほぼ解決できると思っています。
私が長女とできるだけ一緒に過ごしながら「君は本当はやさしいお姉ちゃんだ」ということを認識させたいと思います。

育休をとって半年になりましたが、今でも育児が安定せずに悩むことがあります。
妻が順応できる前に鍋が沸騰してしまわないよう、自分ができる事、やっておかなければいけないことは何かを考えて、残りの2か月弱を有意義に過ごしたいと思います。